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HAPPY NEW YEAR 2020

明けましておめでとうございます。今年の抱負を記しておくべきかなと思ったら、昨年末に配信したメールレターに寄せた文章がちょうどよかったので、ここに載せることにしました。昨年書いたので、今年のことを「来年」と言っています。敢えてそのまま載せるので、頭の中で変換して、お読みください。それでは、今年もよろしくお願いいたします。

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長野の冬といえば、「雪深い」というイメージがあるらしい。都市部に暮らす友人・知人は、雪道の運転や寒さに怖気づいて、冬の訪問に、未だ尻込みする者も少なくない。ぼくは雪国生まれではないけれど、群馬で過ごした幼少期、冬から春にかけて、県内の山間部や新潟との県境へ、スキーをしに、よく家族で出かけていたから(バブルの残り香が、まだ何となく消えずに漂っていた時代だと、改めて思う)、雪道の運転も、その寒さも、「冬とはそういうものだ」という刷り込みがある。怖くないわけじゃない。でも、慎重に運転すればいいだけだし、暖かい格好をすればいいだけの話だ。「腹に力を入れて乗り越えろ」それが、母の口癖だったのもある。つい、「んなことにビビっててどうする」と思う。実際には、安曇野や松本は、困るほどの雪は降らない。最近は、特に、もう。

今年は、してきなしごとにとっても、ぼく自身にとっても、凄まじい一年だった。これまで、人生における分岐は、本来「ポイント=点」ではなく、小さな出来事の連続を「面」のように跨いで広がっているものだと思っていた。が、2019年は、まさに「分岐点」の一年だった。この局面を迎えるために、ぼくは昨年自分の場所=家を持ったのかもしれない。してきなしごとのロゴをALL RIGHTに依頼したこと、詩の教室を始めたこと、nice things.での連載、ギャラリーの運営、SNSを縮小してメールレターを始めたこと。それらは準備運動だった。そして、ほどよく体がほぐれたところに、大学生がふとやってきた。してきなしごとの見習いを名乗る彼女の登場が、ぼくを押し上げた。ぼくは自分が古くなることを知り、だからこそ、新しい戦いに挑まなければいけない時が来たのだと、突き動かされた。

先日の早朝、テラスに積んだ薪を室内に持ち込もうと、窓を開けた時、看板犬のロッホが、ぼくの足元をすり抜け、外へ飛び出してしまった。目の前の林に、猿が3頭いたのだ。慌てて、木に登る猿たち。藪に飛び込み、根元をぐるぐる回って、吠え続けるロッホ。やがて近所の犬にちょっかいを出すも、首根っこを押さえつけられ、あえなく捕獲された。ちょうど寒い朝で、近所にも迷惑をかけ、まったく褒められる出来事ではないのだけれど、一つだけ、彼の猟犬としての本能を垣間見ることができたのは、収穫だった。膨れ上がる筋肉、逆立つ毛、輝く眼光、張りのある声、狐さながらの跳躍。遮ろうとする飼い主を物ともせず、この後こっ酷く叱られることなど気にもせず、ただ今目の前の獲物に対して挑むことだけ、それのみに全能力を傾ける。命あるもののあるべき姿を、見せつけられた。

来年は、今までにない経験をすることになりそうだ。この先で待っている未知の出来事を前に、きっとぼくはおおよそ初心者であり、一年生だと思う。これまでは、請け負った詩やデザインの仕事とその期待に、必死に応える日々だった。裏付けする技術や経歴をまったく持たない事業体だから、せめて「してきなしごと」というブランドに見合うあり方も意識しながら、活動してきた。でも、これからは、ウチダゴウをもっと自由に、解放してあげたいと思う。それによって、してきなしごとにも余白が生まれるかもしれない。その新しいスペースを、異なる魅力や手法で使いこなす者が現れるかもしれない。これまで来たことのない深い森が、目の前に、新たに広がっている。とても恐ろしい。だから、全身全霊で、向かっていく。風が運ぶ匂いを頼りに、藪を掻き分け、次の道を拓いていく。

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